- フューネ(会社)のこと
葬儀の担当者とフィーリング
考えて頂ければ解ることですが、葬儀社に勤める全社員が お葬式の担当をするわけではなく、葬儀の担当者...
続きを読む
今年、フューネは60周年を迎えますが、前身は花屋さんで
あったことを多くの皆様がご存じないのが実情です。
そこで花屋時代の三浦生花店のことを2回に分けて書いてみます。
昭和29年に豊田市竹生町ミツモトアーケード内貸店舗
(20店舗内の1つ)間口2間 奥行1.5間の3坪小さなお店から
家業として花屋をオープンいたしました。
創業者は私のひいおばあさんの三浦嘉です。
当時の時代背景は戦後の不安定な時期であり、三浦家は農業を
家業としていました。しかし、三浦嘉が目の手術に失敗して、農業を
生業とすることができず、商売を始めることになりました。
もともと、嘉の実家は商売を行っていた影響を受けて、夫の一三
(いちぞう)と一緒に開業に開業しました。
当時の花屋は今のように、ハウス物など一切なく、自然に咲く四季の
花を名古屋の大須にある市場に仕入れて小売をしていました。
また、豊田周辺は山野が豊富であり、ここでの枝物を採取して大須にて
売り、その代金を元手に更に仕入れをしていました。
それでも花屋だけでは喰えない状態が続きましたが、二代目である保と
その妻たけ子が家業を支援しました。二人の助けを借り、なんとか花屋
を続けることが可能となったのです。
一年を通じ、花が沢山売れる時期は限られていました。
一年を通しての販売品は「仏花」「サカキ」でした。当時の世相と
して、まだまだ神仏を崇める人が多く、先祖供養をする仏壇、お墓に
参る花、供養花などがありました。特に、神棚のサカキは月に二回交換
する習慣がありました(1日と15日)。とはいっても日常売れる花は
安価な小菊など雑花が主流でした。高価な花はほとんど売れない
のです。しかし、年に一度のかきいれ時期がありました。
最も売れるのは、年末の一週間。
普段つましく暮らす庶民は年に一度だけ贅沢な日を送りました。
新年正月の3日間だけは、どの家も松竹梅の花盛を飾ったのです。
次回に続く・・・
考えて頂ければ解ることですが、葬儀社に勤める全社員が お葬式の担当をするわけではなく、葬儀の担当者...
続きを読む
10月1日にフューネの公式オンラインショップを オープンさせて頂きました。 お仏壇の購入はもちろん、...
続きを読む
葬儀社が自前で運営する民間の葬儀会館がこの世に誕生してまだまだ 半世紀の歴史しかありません。 悠久...
続きを読む
葬儀社の求人募集は伝統的に苦労をするものです。 他の業種と比較をしても、集まりにくいものです。 葬...
続きを読む
株式会社 FUNE (フューネ)代表取締役
1975年、愛知県豊田市生まれ。
2005年、株式会社FUNE (フューネ) の代表取締役に就任。
(株式会社ミウラ葬祭センターが社名変更)
2代目社長として経営回復、葬祭関連事業の 拡大を図る。
2024年、創業70周年を迎える。
代表就任以来「感動葬儀。」をテーマに掲げ、サービスの向上に努めた結果、2011年には週刊ダイヤモンド誌調査による「葬儀社350 社納得度ランキング (2月14日発売)」で全国第1位に。
一方、 葬祭業者のための専門学校「フューネ クリエイトアカデミー」を設立するなど、葬祭の在り方からサービスに至るまで、同業他社への発信を続ける。
終活のプロ、 経営コンサ ルタントとしても全国で講演多数。
著書に『感動葬儀。 心得箇条』(現代書林)、『間違いだらけの終活』(幻冬舎)、『2代目葬儀社社長が教える絶対に会社を潰さない事業承継のイロハ 代替わりは社長の終活』(現代書林)がある。
●好きな食べ物:和牛
●嫌いなもの:イクラ・泡盛
月 | 火 | 水 | 木 | 金 | 土 | 日 |
1 | 2 | 3 | ||||
4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 |
11 | 12 | 13 | 14 | 15 | 16 | 17 |
18 | 19 | 20 | 21 | 22 | 23 | 24 |
25 | 26 | 27 | 28 | 29 | 30 |