15年前の大地震

今日で阪神大震災からちょうど15年

高速道路が崩壊したり、大規模の火災。多くの犠牲者を生んだ大震災でした。

連日のテレビから衝撃的な映像を見る度に地震の恐ろしさを体感した

出来事でした。

当時の私は受験生で大学の入試を受けるのに大阪に行った時に新幹線が

新大阪駅までで止まっていたことを思い出しました。

15年前のことでもはっきりと思い出される記憶です。



阪神大震災では私たちの葬儀業界でも多くの方が関わりました。

その時の大変な苦労をされたお話をこれまで何度も職場の先輩方や

神戸の同業者から聞かされています。

そのはなしはどれも壮絶な体験であり、当時もし葬儀社の一員で

あったら何が出来たであろうかと考えされられるものばかりでした。

実際に地震後に現地に行かれた方に直接聞いたお話を書かせて頂きます。



6000人を超える死者を出した大地震の前にまず地元の葬儀関係の

処理能力は完全にパンク状態で愛知県からも多くの葬儀関係者が

応援に行きました。

名古屋の霊柩車の会社からも何台か現地に応援に行き、来る日も来る日も

ご遺体を瓦礫の中から引き取り地元の体育館に設けられた安置所に安置し、

さらに近隣の被災を免れた火葬場までの搬送をされたそうです。

日頃ご遺体を運ぶ霊柩車の運転手を言えど、ご遺族の泣き叫ぶ姿や

親を亡くし、小さな子供が一人だけ残されている姿を直視できず

ただただ悲しいだけの搬送作業は「気が狂いそうだった」

と実際に行かれた運転手の先輩から聞かされました。

さらに、夜に寝る場所がなく、ご遺体を運ぶ寝台の上で毛布にくるまって

寝る生活が2週間近くも続いたそうです。

そして、食事も最初の数日間はほとんど口にすることが出来なかったとか。

それでも応援をやめることなく続けられたのは素晴らしいことだと

思います。


また、地元豊田市にあるお棺の製造メーカーからは1000本以上

お棺を持って現地入りしています。

災害時にこうした対応ができる企業が地元にあることも素晴らしいこと

ですね。

最後に知り合いの神戸にある葬儀社の社長が語ったおはなし。

「あの時はお客様の要望にすべて応えられ

なかったのが今でも辛い」


と私にお話くださいました。

実際に膨大の葬儀の依頼に対し、無力であったのは事実。

自分達も被災者であり、その中で対応しなければならなかった

ご苦労は私の想像をはるかに超えているものでしょう。

この時はいくら遺族が望んでも葬儀らしい葬儀が出来なかった方が

大勢いるのです。

それでも、できる限りの供養をしようとしたご遺族の方の気持ちや

それに応える為にできる限りのことをした同業者の先輩方の奮闘は

忘れてはいけないと思います。



くしくも今年、ハイチで起きた大地震。

犠牲者のご冥福と少しでも早い復興をお祈り致します。



















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三浦 直樹

株式会社 FUNE (フューネ)代表取締役

1975年、愛知県豊田市生まれ。
2005年、株式会社FUNE (フューネ) の代表取締役に就任。
(株式会社ミウラ葬祭センターが社名変更)
2代目社長として経営回復、葬祭関連事業の 拡大を図る。
2024年、創業70周年を迎える。

代表就任以来「感動葬儀。」をテーマに掲げ、サービスの向上に努めた結果、2011年には週刊ダイヤモンド誌調査による「葬儀社350 社納得度ランキング (2月14日発売)」で全国第1位に。

一方、 葬祭業者のための専門学校「フューネ クリエイトアカデミー」を設立するなど、葬祭の在り方からサービスに至るまで、同業他社への発信を続ける。

終活のプロ、 経営コンサ ルタントとしても全国で講演多数。
著書に『感動葬儀。 心得箇条』(現代書林)、『間違いだらけの終活』(幻冬舎)、『2代目葬儀社社長が教える絶対に会社を潰さない事業承継のイロハ 代替わりは社長の終活』(現代書林)がある。

●好きな食べ物:和牛
●嫌いなもの:イクラ・泡盛


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