野辺の送り



近年の都市部のお葬式では全くと言っていいほど、消滅してしまった

儀式の一つに「野辺(のべ)の送り」というものがあります。

これは墓地または火葬場まで列を組み死者を送ることを言います。

「葬列」とも呼ばれる野辺の送りには様々な小道具があり、

松明(たいまつ)・提灯(ちょうちん)・六道(ろくどう)・旗・花籠(はなかご)

香炉(こうろ)・四華(しか)・膳・位牌・天蓋(てんがい)・柩
などなど。

使う道具が地域よっても大きく異なりますが、列をなす列人がこれらものを

持って列を成すことが「弔い」でした。



いまでも火葬場までは霊柩車・マイクロバス・タクシー・自家用車などで

葬列を作っていくことは「野辺の送り」の習慣が残っているからなのです。

そして、「位牌は喪主が持つもの」という作法は野辺の送りの

決まり事の名残なのです。




ところで、江戸時代までは葬儀は夜に行われていました。

人が亡くなるということは「逆さごと」と言ってあべこべをする

ということと、江戸時代、幕府は農民が一揆などを企てないように

昼間、集団で行動することを厳しく禁じていたという理由もあるのです。

そして、江戸時代のお葬式は現代のような形式ではなく、

夜、暗闇を照らす松明を先頭に墓地までの「野辺の送り」がすべてでした。




野辺の送りで使われた各種小道具は白木祭壇に変化して

現代に至っています。



もっとも、白木祭壇を使わないお葬式が多くなり、本当にお葬式の中に

「野辺の送り」の名残が少なくなっています。



フューネでは白木祭壇よりもお花で飾った生花祭壇や洋風祭壇をお客様に

オススメしていますが、同時に野辺の送りで使った提灯花籠を使うことも

推奨しています。

変えてはいけないものを変えず、

変えて良い物は変える


これこそ、フューネが目指す葬儀のあり方ですから。




お葬式の本来の意味が薄れてきている今、もう一度「原点に戻ること」

を意識してみないと先人から受け継いできた葬送文化が壊れてしまうのです。




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三浦 直樹

株式会社 FUNE (フューネ)代表取締役

1975年、愛知県豊田市生まれ。
2005年、株式会社FUNE (フューネ) の代表取締役に就任。
(株式会社ミウラ葬祭センターが社名変更)
2代目社長として経営回復、葬祭関連事業の 拡大を図る。
2024年、創業70周年を迎える。

代表就任以来「感動葬儀。」をテーマに掲げ、サービスの向上に努めた結果、2011年には週刊ダイヤモンド誌調査による「葬儀社350 社納得度ランキング (2月14日発売)」で全国第1位に。

一方、 葬祭業者のための専門学校「フューネ クリエイトアカデミー」を設立するなど、葬祭の在り方からサービスに至るまで、同業他社への発信を続ける。

終活のプロ、 経営コンサ ルタントとしても全国で講演多数。
著書に『感動葬儀。 心得箇条』(現代書林)、『間違いだらけの終活』(幻冬舎)、『2代目葬儀社社長が教える絶対に会社を潰さない事業承継のイロハ 代替わりは社長の終活』(現代書林)がある。

●好きな食べ物:和牛
●嫌いなもの:イクラ・泡盛


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