親子喧嘩から社長に。
私は30歳と8日目で社長に就任しました。正直に申しまして自分でも予定よりも
かなり早いと思いました。創業社長なら20代の社長も珍しくはありませんが、
弊社は花屋としては私で4代目。葬儀社としては2代目という歴史があり、
そろそろ老舗と名乗っても怒られないくらいの歴史になっていました。
そのような背景の中での社長交代。実はこれほど早くなったきっかけは
あることで揉めた親子喧嘩からだったのです。
私が28歳の時、当時GL(グループリーダー)という役職であり、世間の会社で
いえば総務部長的な仕事をしていました。先代である父は長年、自分が
強力なリーダーシップを発揮して部下をグイグイ引っ張っていくタイプの
経営者で(創業社長にはこのタイプが多い)組織は「社長と部下」という
組織でした。いわゆる中間管理職というものは全く不要でした。
カリスマ的な要素を持ち合わせていましたし、家族経営から会社経営と
家業から企業に成長させた功績を考えるとそれが一番正しかったのでしょう。
しかし、当時、長年会社で働いてくれる社員が皆無でした。
社員の会社に対する不満を聞いている内に、原因が何か解ってきました。
それは入社一年目の社員と入社10年目の社員の基本給が一緒であった
ということです。つまり給与が同じだったのです。社長が親や社員が子で
ある以上、長男も次男も三男も親として平等に接するという考え方が当時の
社長の考え方でした。「社長と部下」という組織の象徴でした。
もちろんこの政策の良いところもあるのですが、当時は入社1年目の社員に
対して「給与が一緒なんだからもっと働け」といっていじめたり、
給与が上がらないから憂う、将来のことに対する不安が中堅社員以上に
蔓延していました。
結果、5年以上在籍をすると辞めていく社員が後を絶ちませんでした。
私は修業ということでサラリーマン経験を三年させて頂きました。
その経験で思ったのはサラリーマンというものは同僚の給与が非常に気になる
という心理です。たとえ1000円でも後輩社員よりも多く貰っていないと気が
済まない。同期の社員との給与の格差はショックを受けるのです。
その体験をした私からすると基本給が入社10年目の社員と一年目の社員と
同じということはあり得ないのです。
そのことを先代に改善の進言をしました。しかし、「社長と部下」という組織の
観念から、また長年の慣習からなかなか受け入れて貰えません。
いつしかこのことが原因に喧嘩になってきました。
「そこまで言うのなら、おまえが社長になってからやれ」
「おうやったるわ」
というまさに売り言葉に買い言葉で30歳で社長になることになって
しまったのです。
今から思えば、先代は事業承継のタイミングを狙っていたところに、私が
まんまと嵌ってしまったのかもしれません。
それはそれで、結果オーライでした。結局のところ、前述の給与の問題は
私が社長に就任と同時に基本給の改革をして今に至っています。
同時に「社長と部下」という組織から課長・係長・主任という役職が新たに
誕生し、中核を担う社員がそれに就き結果的に給与を若手社員との差を
作ることに成功しました。
事業承継と一言で言いますが、本当に難しいものです。
一番危険なのは受け継ぐ方が「やらさせてやってやる」という気持ちで
受け継ぐこと。これは絶対に失敗します。
その点、私の場合は喧嘩という手法が良かったのかということは別にして
言い切ってしまった以上、絶対に逃げられない状況を自ら作ってしまったのです。
「だから社長を辞められないのです(笑)」
結局のところ、先代からの良いことは引き続き継承していく。先代の悪いところは
思い切って変えていくという気概がなければ、船出から沈没してしまう危険を
孕んでいるのです。