社長一年目の苦悩 その1
私が社長に就任したのは30歳でした。
※社長になった経緯は「親子喧嘩から社長に。」をご覧ください。
創業社長でも私が30歳で社長になったことは私たちを知る社外の方々にとって
大きな驚きでした。当時の私は一言で言えば「未知数」だったのです。特に社外の
皆様にとっては経済団体へもデビューをしていませんでしたので、地域の経済界
にとても無名でした。つまり、どんな奴かもわからない奴がいきなり社長になって
しまったのです。
逆に父親は地元の政財界では有名人でした。一代で会社を大きくした実力もあり、
その実力を買われて政治のお手伝いや経済団体の役職を歴任してきましたから
会社のネームバリュー以上に個人のネームバリューのある人でした。
社長交代をした時の父の年齢は56歳。まだまだ現役バリバリの体力と知性は
当然あったのです。
ですから、本当に本当に多くの方からこう言われました。
「フューネは会長が院政を敷いている」
実際のところは噂とは全く逆でした。
父は会長就任にあたり、まず私に言ったことは
「代表権はいらない」と。
つまり、代表取締役会長ではなく、取締役会長で良いと。
会社では代表権は新社長である若干30歳の私のみでした。
代表権の所有者が一人ということは権限がすべて集中することであり、
聞こえは良いのですが、つまりは「責任はすべておまえだ」ということの他
なりません。正直「重荷」です。というよりも実力以上に重たすぎました。
このことをお取引のある銀行に報告すると支店長が血相を変えてきました。
新社長の信用ではお金を貸せないということの内容でした。
これが私の実力でした。「くやしい」という感情でした。
おそらくその時に味わったくわしさは生涯忘れることはないでしょう。
しかし、実績0の新社長の評価としては当然です。
私の事業承継の原点で(意図的に?)ここまで徹底して自分の実力を
教えてくれたのです。
新社長になったその日からどこに行っても私が父よりも上座に座るように
なりました。こういうことに本当に父は徹底していました。
当然、「社長とは」という自覚が私に生まれてくるのには時間は
かかりませんでした。
しかし、実力はまだまだ未知数。。。
「院政を敷いている」という世間の噂を打ち消すすべは知りませんでした。
悔しさとトップの自覚を同時に教えてくれた父親はやはり偉大です。
普通はここまでは出来ないですよ。
しかし何はともあれ社長になったばかり。
今から振り返ってみると苦悩の始まりの合図だったのです。