伊﨑裕之の奮闘記
経営戦略室 室長
福井支店 支店長 伊﨑 裕之
フューネの社名変更にも大きく関わっていた
伊崎のフューネ(正式にはミウラ葬祭センター)との関わりは2001年から。
フューネは、彼が当時在籍していた広告代理店の担当クライアントのひとつだった。従って現社長の三浦とは、クライアント企業の担当者という関係で出会っている。「フューネは様々なクライアントの中でも、最も深くお付き合いさせてもらった企業のひとつ」と彼は言う。
例えばフューネという新社名の決定、そしてその社名を世に出すためのロゴの制作も彼のプロジェクトだった。
ラピアンセレモニー、感謝祭イベント、このMC通信も、すべて彼が企画から関わっている。「TVCMも、キャラクターも作った。BOXティッシュやうちわ、社章や社員証に至るまで、今社内に普通にあるもの、行われていることは、実はほとんどが自分の企画なんです。」
そう言って彼は、少し感慨深そうに微笑んだ。
フューネへの転職
歳を重ねた両親をいよいよ二人だけで生活させる訳にはいかない。2013年12月、名古屋を離れ家族と一緒に実家である福井へ戻る決意を固めた彼は、各クライアントへ代理店退職の挨拶をし始めていた。
そんなタイミングで社長の三浦から「うちに入って広告の仕事やる?」と言われた。週1回くらい本社に来てくれれば、後は福井で仕事やっていていいよとのこと。大変光栄だったのと同時に、広告の仕事が続けられるありがたさが込み上げていた。
楽しくも孤独な葬儀社での一人広告代理店
三浦からは広告代理店としての売上を上げる責任を与えられ、しかしその代わりに比較的自由な時間を約束された。福井は地元とは言え、仕事では全く関わってこなかったエリア。毎日誰かに会い、紹介をいただき、少しずつ売上を積み上げて行った。
前年度実績と売上目標を超える事に必死だった。
名古屋の代理店時代とは全く違う環境で、文化で、会社のみんなとは別の時間の中で、ひとり売上と行動を管理し、自分を律して毎日を過ごす事は、思っていた以上にストレスフルではあった。
「自由な時間を楽しむ余裕なんて一切無かったですね」と言うが、広告の仕事は楽しいらしく、「広告はライフワークですから」と笑っていた。
一緒に働く環境を作ってくれた三浦社長には感謝しかないと彼は言う。その感謝は、70年を迎えた会社を次の100年に導き、さらに会社に貢献できるよう一所懸命働き続ける事でお返ししていくしかない。
まだ健在な両親の事を気に掛けながらも、彼の眼はしっかり未来を見据えているようだ。